自分の強い部分を伸ばしていくのか、それとも弱い部分を改善するべきなのか、400メートルハードルのオリンピックメダリストである為末氏の著作の本の中の言葉が印象的だったので紹介させていただきます。
欠点には存在理由がある。勝負は欠点を克服したから優位に立てるというものではないと思う。
スピードがない、ピッチが出ないなど自分の欠点を思いつくまま挙げていくと予想通りたくさんの欠点がリストアップされた。「この欠点さえ埋めることができれば勝てるぞ」と思ったし、興奮した。さっそく悪癖をを直したり短所を克服することに特化した練習を始めたがどうもうまくいかない。さらに分析するうちに、とある疑問が湧いてきた。
「欠点にはそれなりに意味があるのではないか?」
その欠点がなくなったらできることも広がるかもしれないけど、僕のように背の高くない選手は多かれ少なかれ僕が持っているような特徴を持っている。自分が挙げた欠点はひょっとしたら背の低い選手が戦うためにには必要な副作用なんじゃないかと気がついたのだった。
こうして全体のバランスで見始めると、欠点が欠点だけで存在しているのではなくて、長所とセットになっていることがほとんどだった。欠点には「存在する理由」があったのだ。
皆さんはどう思われますか。簡単に言うと、長所は短所の裏返しで、逆も然り、常に表裏一体であるということなのかなと私は感じました。
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