とことん楽しみたい

30代、40代は、今を楽しむよりも、将来の自分のために今努力することを選択してきたような気がします。ただ、50代になってからは心境が変わり、努力を続けながらも、今というこの瞬間を楽しみたいと心底思うようになってきました。さあ、今日は何をして楽しみましょうか。

私が生まれた1968年は、経済が毎年10%の成長を見せた高度経済成長の真っ只中でした。

また日本全体が浮かれていたバブル景気の時は、高校生から大学生、そしてギリギリ就職した年にもかかるので、その後も何かと言うとバブル世代と揶揄されたものでした。

実際多くの企業が新卒を大量採用していたので、一人の学生が何社もの内定をもらうことが普通でした。

その後の失われた20年 (もしくは30年)は、逆に日本全体に悲観論が拡がり、日本人が自信を喪失していった時期でもあります。

このように経済は何年かの周期によって浮き沈みをするわけですが、私たち一人一人の個人の場合はどうでしょうか。

たまにテレビで、ある人の人生の浮き沈みをグラフ化した年表のようなものを見ることがありますが、その場合は大抵、壮絶な子供時代を経て大人になってから大成功した人や、一旦人生が奈落の底まで落ちるのもののそこから這い上がって成功した人たちが紹介されています。

私自身は、そうしたドラマチックな人生は送ってきていませんが、ただ子供の頃から今に至るまで、常に自分の人生はこんなものではない、もっと成功できるという気持ちを持ってきました。

強い成功願望や、ギラギラとした上昇志向があったわけではありません。

ただ、若い時から自己啓発本を貪り読んでいたので、自分の能力を高めることや、より良い人間になることに強い興味や願望を持っていたことは間違いありません。

そして、実際に周りからはストイックに見られるくらい、自己啓発に没頭していたので、自分の中でも、自分はもっとできる、まだ成長できるというアファーメーションが出来ていたのだと思っています。

そうした意味で、30代、40代は、今を楽しむよりも、将来の自分のために今努力することを選択してきたような気がします。ただ、50代になってからは心境が変わり、努力を続けながらも、今というこの瞬間を楽しみたいと心底思うようになってきました。

あと何年自分の人生が残されているかは分かりませんが、最後に自分の人生を振り返った時に、自分の人生はずっと右肩上がりで、死ぬ時が一番ピークだったなと思えれば最高だと思っています。

ということで、今日も幸せの達人への修行を続けていきます。

(English)

I was born in 1968, in the midst of a period of rapid economic growth in which the economy showed 10% growth every year.

Also, during the bubble economy when Japan as a whole was in a state of excitement, I was in high school, college, and even just barely able to find a job, so I was always ridiculed as the “bubble generation” after that.

In fact, many companies were hiring new graduates in large numbers, and it was common for one student to receive job offers from several companies.

The lost 20 (or 30) years that followed were, on the contrary, a time when pessimism spread throughout Japan and the Japanese people lost confidence.

The economy goes through cycles of ups and downs over the years, but what about each of us as individuals?

Sometimes on TV, you can see a graph showing the ups and downs of a person’s life, and it usually shows people who had a spectacular childhood and became very successful as adults, or people whose lives once plummeted to the bottom of the abyss, but who rose from there and became successful.

I myself have not lived such a dramatic life, but from childhood to the present, I have always had the feeling that my life was not like this and that I could be more successful.

I have never had a strong desire to succeed or a glaring upward mobility.

However, I devoured self-help books from a young age, and I definitely had a strong interest and desire to improve my abilities and become a better person.

And because I was so devoted to self-development that I was actually seen as stoic by those around me, I believe that I had an affirmation in my mind that I could do more and still grow.

In this sense, I think that in my 30s and 40s, I chose to work hard now for my future self rather than enjoying the present. However, my mind has changed since I entered my 50s, and I have come to truly want to enjoy the present moment while continuing to work hard.

I don’t know how many more years I have left in my life, but when I look back on my life at the end, I would like to think that my life has been going steadily upward, and that my time of death was the peak of my life.

So today, I will continue my training to become a master of happiness.

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ABOUT US

サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.