人間は社会的動物であるがために、生活の中で普段様々なペルソナを演じています。
私の場合、
息子としての顔
夫としての顔
親としての顔
会社での顔
友達としての顔
など様々な顔を演じているわけですが、どうしても、父親とはこうでなければならない、会社ではこう振舞わなければいけないという観念が無意識にでも出てしまい、このペルソナが幸せの達人になることを少し邪魔しているような気がしました。
それでは、それぞれの顔を玉ねぎの皮に喩えて一つ一つ剥いて行った場合、最後に残る芯(コア、ファンダメンタル)とは何なのでしょうか。
そんなことを昨日の夜から考えていたのですが、今朝シャワーを浴びている時に、これらの顔を演じる必要がない存在、というか意識していない存在は、赤ちゃんや子供だという結論に至りました。
そして、赤ちゃんや子供が持っていて、大人になるにしたがって失くしてしまいがちなことは ”無邪気”かなと思いました。
無邪気という言葉は
① あどけなくて、すなおな・こと(さま)。 「 -に笑う」 「 -な子供」
② 悪気やねじけた気持ちのない・こと(さま)。 「 -な言動」
③ 深い考えのない・こと(さま)。
という意味になりますが、この中でも、③の深い考えのない・ことは、逆に言うと、深く考え過ぎてしまい結局何も動かないということになり、まさに自分自身のことだと思ってしまいました。
そんな自分を変えたくてこのブログを立ち上げたので(ブログを始めたいと思ってから実際立ち上げるのに10年以上かかりました)、これからは、あまり深く考えず、こうでなければいけないという固定観念を取っ払って、自分のやりたいこと、好きなことを素直にやっていこうと改めて思いました。
コメントを残す