自分の原風景

若い時は早く自分の生まれ育った街から出て行くことばかり考えていましたが、今では地元愛を語るようになりました。自分の夢の向こうにはいつも自分を癒してくれる地元の風景があり、それは自分の幼少期の原風景と重なるのです。

昨日の夜たまたまテレビをつけたところ、住んでみて良かった街ベスト100の特番で、私の生まれ育った街が4位に選ばれていました(対象地域は、東京、千葉、埼玉、神奈川に限定されていましたが)。

何か自分のことのように嬉しくなってしまいましたが、社会人になり実家を離れるまでは地元を出たいという気持ちの方が強かったことを覚えています。

それが、職場で出会った伴侶が同じ市内の出身だったこともあり、海外から帰国するときに地元に戻ることになりました。そして、一人娘は、父と私も卒業した同じ小学校に通い、今や地元愛を語るようになりました。

来年は夢のマイホームも同じ市内に建てる予定になっているので、この先も生まれ育ったこの街にお世話になることになります。

実家を離れた後は、地方にも、東京にも、そして海外でも暮らしましたが、やはり最後は生まれ育った街に戻れたことを今では感謝しています。

そして、自分の夢の向こうにはいつも自分を癒してくれる地元の風景があります。それは自分の幼少期の頃の原風景と変わらず同じ風景で、家族と同じようにいつでも自分を変わらす応援してくれているような気がします。

(English)

Last night I happened to turn on the TV and saw that the town where I was born and raised was ranked 4th in a special program on the 100 best cities to live in (although the area covered was limited to Tokyo, Chiba, Saitama, and Kanagawa).

I was happy as if it were me, but I remember that I had a stronger desire to leave my hometown until I became a working adult and left my parents’ house.

This was partly because my spouse, whom I met at work, was from the same city, and we decided to return to our hometown when I returned from overseas. And our only daughter attended the same elementary school from which her father and I also graduated, and she now speaks of her love for her hometown.

Next year, we are planning to build our dream home in the same city, so we will continue to be a part of this city where we were born and raised.

After leaving my parents’ home, I lived in the countryside, in Tokyo, and even overseas, but in the end, I am now grateful to have returned to the city where I was born and raised.

And beyond my dreams, there is always the local scenery that soothes me.

It is the same scenery as the original landscape of my childhood, and like my family, I feel as if it is always there to support me.

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ABOUT US

サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.