The Economist誌 – Covid-19 in Japan

北海道の感染者が減少に転じた1ヶ月前には、これで日本でのピークも過ぎたと思っていましたが、大きな間違いでした。専門家の中には日本人の5割が感染して抗体を持たないと終焉しない、それまでに1年以上はかかるなどの意見も出てきて、もはや一時的な変化ではなくて根本的に私たちの生活が変わってくることを意識せざろう得なくなりました。


英文
Pointing to a chart showing a flattened curve, Suzuki Naomichi, the governor of Hokkaido, announced on March 18th that the region had contained its coronavirus outbreak and could therefore lift its three-week-old state of emergency. “We were on defence until now, but we hope to enter a new stage,” he said. Less than a month later Mr Suzuki warned that Hokkaido was “facing a crisis of a second wave”. He reimposed a state of emergency on April 12th.

The prospect of this sort of reversal haunts governments around the world. The lesson is clear, says Shibuya Kenji of King’s College London: “Even if you manage to control a local outbreak, once you lift the lockdown, there’s a high risk of resurgence.”When the virus first spread to Japan, Hokkaido was the hardest-hit region. Although home to only 4% of the population, it racked up a third of the 206 confirmed cases in the country by the end of February. Mr Suzuki declared the first state of emergency on February 28th, asking residents to restrict outings and schools to close. Locals largely complied. On March 17th Hokkaido had its first day with no new cases in more than a month. Schools reopened and restaurants became busy again. “A lot of people thought the worst was over,” says Sasada Hironori of Hokkaido University. “People dropped their guard.

”But the number of new cases began rising again, from 198 on April 7th to 296 on April 15th. Though low in absolute terms, the uptick unsettled the local government. The first wave had been linked to Chinese tourists visiting a winter festival in early February, making transmission relatively easy to trace. The second wave seems to have been caused by locals returning from Tokyo or abroad, and so is much more diffuse. Patchwork restrictions and continuing inter-regional transport have undermined containment efforts, argues Mr Shibuya. 

Pollsters say 95% of locals supported Mr Suzuki’s first state of emergency in February. His approval rating hit 88% in early April. The public disapproves, meanwhile, of the national government’s delay in following suit. Hokkaido’s new state of emergency is due to end on May 6th, in line with the one the prime minister, Abe Shinzo, declared in six prefectures in early April. That, says a bureaucrat in Hokkaido, “is probably too optimistic”. He should know.

日本語訳参考例
平らな曲線を示すグラフを指して、北海道知事の鈴木直道氏は3月18日に、北海道地域においてコロナウイルスの発生が抑えられいるため、3週間に渡った非常事態宣言を解除できると発表しました。 「私たちはこれまでもウィルスに対する防御を続けていましたが、これからは新しい局面に入ることを希望しています」と述べました。しかし、 1か月も経たないうちに、鈴木氏は北海道が「第二波の危機に直面している」と警告し、4月12日に緊急事態を再び行いました。


このような反転の見通しは、世界中の政府を悩ませています。キングズカレッジロンドンの渋谷健二氏は、教訓は明らかです。「地域における流行をなんとか抑えても、いったん封鎖を解除すれば、再発のリスクが高いということです」と述べています。ウイルスが最初に日本でに広まったとき、北海道は最も大きな影響を受けた地域でした。日本の人口のわずか4%がこの地域に住んでいますが、2月末に国内で確認された206例のうち3分の1を占めることになりました。鈴木氏は2月28日に最初の緊急事態を宣言し、住民には外出を制限し、学校の閉鎖を求めました。大部分の地元住民はそれに応じることとなりました。 3月17日には、この1ヶ月で初めて、新しい感染ケースがありませんでした。学校は再開され、レストランは再び忙しくなったのです。「多くの人が最悪の事態は終わったと考えました」、そう北海道大学の笹田博典氏は言います。 「人々は警戒を解いたのです。」

しかし、新しいケースの数は、4月7日の198件から4月15日には296件に再び増加し始めました。絶対数は低いものの、上昇傾向は地方政府を不安定にさせました。最初の波は、2月の初めに雪祭りを訪れる中国人観光客に関連していたため、伝染経路が比較的追跡しやすくなりました。第2の波は、東京や海外から戻ってきた地元住民によって引き起こされたようであり、そのため、はるかに拡散しています。応急処理的な制限と地域間輸送の継続により、抑制の取り組みが損なわれていると、渋谷氏は主張します。

世論調査によると、地元住民の95%が2月に鈴木氏の最初の緊急事態宣言を支持しました。彼の承認率は4月上旬に88%に達しました。一方で、国民は日本政府による宣言の遅れに対して非難しています。北海道の新しい緊急事態宣言は、4月上旬に安倍首相が6県で宣言したものと同じく、5月6日までの予定となっています。それに対して、北海道の役人たちは、「楽観的すぎるかもしれない」と述べています。首相は知っておくべきでしょう。

単語
flatten = (…を)平らにする、(…に)うつぶせになる、(…に)へばりつく、気力をそぐ、打ちひしぐ、の調子を下げる
contain = (…を)(内に)含む、包含する、入る、(…に)等しい、抑える、辛抱する、我慢する、自制する、阻止する、食い止める
lift = 〈封鎖・包囲などを〉解く
reimpose = 再び負わす
haunt = (考え・思い出などが)(人に)絶えずつきまとう、(…の)脳裏を去らない 
resurgence = 再起、復活
racked up = (点・票など)を取る、…を成し遂げる
uptick = (景気などの)上向き、上昇
transmission = 伝達(すること、されること)、伝送、伝染diffuse = 放散する、広める、普及させるundermine = ひそかに傷つける、いつのまにか害する

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サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.