レースクイーンからレーシングドライバーに転身

昨日は、千日回峰行を成し遂げた塩沼亮潤大阿闍梨を紹介しましたが、今日は、レーシングドライバーの井原慶子さんを紹介してみたいと思います。

先ずは彼女のプロファイールをどうぞ。


東京都出身、法政大学卒業。競泳やマラソン等スポーツなどを行い、父の仕事の都合で北海道に引越し、高校ではモーグルスキーの選手として活動。学生モーグルスキー大会で入賞した実績を積み、将来の大会出場のための合宿、遠征費用を稼ぐ為に、大学生の頃にモデル業を始めた。1998年には、レースクイーンの頂点とも言われるF1ベネトンレースクイーン・グランプリに5000人を超える応募者の中から選ばれた。


2008年に7歳年下のエネルギー科学者・本島厳と結婚。2012年には、日本人初、世界女性初で耐久レースの世界最高峰WEC世界耐久選手権にフル参戦。2013年同シリーズドライバーズランキング22位、女性では最高位を獲得し、世界最速の女性ドライバーとなる。


2015年4月11日に日本自動車連盟が推進する女性の自動車産業への参加を目指す「ウイメン イン モータースポーツ」の一環としてレーシングチームの監督に就任した。2016年にフランスのドーヴィルで開催された女性プロアスリート対象の栄誉のある賞「WOMEN’S FORUM GLOBAL MEETING 2016」の「記録を打ち破り、新たな歴史を築いたロールモデル」に選出された。


いかがでしょうか。このプロフィールを見るだけでも、普通の人の人生の3倍は生きれてこられた方だと思いますが、さらに私がすごいなと思ったのは、レースクィーンからレーシングドライバーへの挑戦を決めたときにはなんと車の免許さえ持っていらっしゃらなかったそうです。


どこからこのバイタリティが出てくるのか不思議ですが、やりたいことをひたすらやってみる姿勢と行動力には脱帽です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US

サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.