生きること、死ぬこと

私は、一年半前に父を亡くしています。

入院していた病院から、いよいよ父の状態が危険な状態である旨の連絡を受けて、妻と娘と車で病院に向かいました。

病室に入ると、そこには母が父の手を握りしめて、一生懸命父の手をさすっている光景が最初に目に入りました。

そして、私たち三人が病室に入ると同時に、父の心電図がどんどんと落ちていったのです。

妻も、娘も、母も、私も、それぞれ、

お父さん、しっかりして。

じじ、聞こえる?

親父、頑張れ。

と声をかけましたが、

私たちの声も虚しく、父はそのまま息を引き取りました。

否、間違いなく私たちの声は届いていたと思います。

そして、父は、私たち家族が揃うまで待っていてくれたのだと思います。

私たちは誰でも死に向かって生きています。

私は自分の父の死を通して、残りの人生を精一杯生きてやろうと思うことができました。

そして、自分の死を考えることで、今こうして生きていることがありがたいと思えるようになりました。

(English)

I lost my father a year and a half ago.

When I received a call from the hospital that my father was in a critical condition, I drove to the hospital with my wife and daughter.

When we entered the hospital room, the first thing I saw was my mother holding my father’s hand and rubbing his hand as hard as she could.

Then, as soon as the three of us entered the hospital room, my father’s ECG started to drop rapidly.

My wife, my daughter, my mother, and I were all

We all said

Dad, pull yourself together.

Jiji, can you hear me?

Dad, hang in there.

But our voices were in vain, and my father passed away.

But I am sure he heard us. I believe he was waiting for us to before he goes.

We are all living towards death.

Through my father’s death, I was able to think about living the rest of my life to the fullest.

By thinking about my own death, I have come to appreciate the fact that I am alive today.

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ABOUT US

サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.