自分を諦めないでよかった

30代、40代で頑張ったからこそ、50代の今、夢に挑戦する気になりました。当時は苦しいこともあったけど、今思うと無駄なことは何もなかったと言い切れます。今は夢と希望しかなかった子供の頃に戻ったような気持ちで第二の青春を楽しんでいます。

小さい頃って、自分にどんな可能性があるかなんて分からなかった分、逆に何者にでもなれると思っていました。

それが、中学に入り学校の成績や学力テストで自分の順番が分かると、自分の偏差値で行ける高校が決まり、自分の場合は大学付属の私立の高校に入ったので、そのまま大学にもストレートに上がりました。

振り返ってみると、レールに敷かれた面白みのない高校、大学生活を送っていたなと思ってしまいますが、当時は目指すべきものや、絶対これがやりたいという対象もなかったので、何処にも寄り道をしない学生生活もそれはそれで良かったのかなと思っています。

就職は、英語を使った仕事に就きたい一心で、外資系企業に就職しましたが、当時はまだ終身雇用が前提だった日本企業や公務員ではなくて、安定性のない外資系の会社を選んで本当に良かったと思っています。

社内の人間関係や政治に惑わされずに仕事に打ち込めたこともよかったですし、何よりも自分の希望通りに英語を仕事で使えることが大きなモチベーションとなっていました。入社して5年足らずで、憧れていた海外勤務をできたこともラッキーでした。

10年前に今の会社に転職できたのも、社会人になってから常に仕事のスキルを磨き続けてこれたからこそ実現できたことですし、また53歳になって、新しい道を模索できるのも、就職や転職がゴールでなくて、自分の使命を見つけて、それに向かって一生努力を続けることをゴールにしたからだと思っています。

そして、今、子供のころのように、自分は何者にでもなれるし、まだ可能性を広げていくことができると信じています。

ここに来るまでの道はそれはそれで必然だったのかも知れません。

でも、とにかく、53歳になって、自分には夢と目標があり、それに向かって頑張っていける環境にあることが本当に嬉しくて仕方ありません。

さあ、これからどんどん子供の頃の純粋な気持ちに帰ってワクワクしながら夢を叶えていきたいです。

(English)

When I was a small child, I thought I could be anything I wanted to be because I had no idea what possibilities I had.

That said, once I entered junior high school and found out my order in school grades and academic achievement tests, the high school I could go to was determined by my deviation score, and in my case I entered a private high school affiliated with a university, so I went straight to university as well.

Looking back, I feel that my high school and university life was uninteresting and railroaded, but at the time I had nothing to aim for and nothing that I absolutely wanted to do, so I think that my student life with no detours was good in its own way.

I am very glad that I chose to work for a foreign-affiliated company that did not offer stability, rather than a Japanese company or a civil servant, which at the time were still based on the premise of lifetime employment.

It was also good that I could devote myself to my work without being distracted by internal human relations and politics. Above all, I was greatly motivated by the fact that I could use English at work as I wished. I was also lucky to be able to work overseas, which I had longed to do, less than five years after joining the company.

I was able to change jobs at my current company 10 years ago because I have been constantly improving my work skills since I entered the workforce, and I am now 53 years old and able to seek a new path because my goal was not to find a job or change jobs, but to find my mission and continue working toward it for the rest of my life. I believe this is because I made it my goal to find my mission and continue to work toward it for the rest of my life.

And now, as when I was a child, I believe that I can be anything I want to be and still expand my potential.

Maybe that was the inevitable path I had to take to get here.

But anyway, at 53 years old, I am really happy that I have a dream and a goal, and that I am in an environment where I can work hard toward them.

Now, from now on, I want to return more and more to the pure feelings of my childhood and fulfill my dreams with excitement.

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ABOUT US

サイト管理人: カネゴン バブルが終わる直前の1991年に、外資系の金融関係の会社に入社しました。そこでビジネスのイロハを学ばせていただき、10年以上のオーストラリアでの勤務時代には英語漬けの毎日でした。その後、縁があり、現在働いている外資系IT企業にお世話になっております。ここでは、1,000名を超える組織と日本だけでなく韓国のチームを率いる経験をさせていただき人材開発やチームエンゲージメントに注力してきました。 (このブログの最初の投稿 2020年3月2日) 人間に生まれて半世紀が過ぎました。後どれくらい自分の人生が残されているか分かりませんが、残りの人生、自分の好きなことや、興味のあることをひたすらやり続けていくことを決意しました。 それを全うすることが出来たら、人生の最後に自分の人生は本当に幸せであったなと振り返ることが出来ると思うのです。 このブログはそうした自分の想いを込めて、”幸せの達人になる” と名付けてみました。 これから毎日、”xxxの達人になる”というカテゴリー別に記事をアップしていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。 Writer; Kanegon Joined the US financial related company in Tokyo back in 1991 as the fresh graduate and learnt the business 101 over there including over 10 years overseas experience in Sydney, Australia. I'm currently working for US IT company in Tokyo and am fortunate to manage over 1,000 employees organization for not only Japan, but also Korea team.